後藤 恵理子さん

  • 後藤 恵理子さん 1979年生まれ 茨城県在住
  • 第1子/2012年8月生まれ/小5(女)
  • 第2子/2013年12月生まれ/小4(女)
  • 第3子/2020年11月生まれ/2歳(女)
    ※掲載の年齢は取材時のものです。

薬剤師・個性心理学インストラクターとして活動されている恵理子さん。ご主人と共に千晴治療院を営んでおられます。子どもの健康や心のケアについての学びを深め、薬剤師として母親として両方の立場から分かりやすくシェアしてくださっています。個性心理学では、ママと子どもの個性に合わせた声掛けなども教えてくれるので、子どもひとりひとりの特質を大切にしながら子育てするヒントがもらえますよ♪

自分を出せなかった幼少期

両親ともに教員で
母の妹も父の姉もおばあちゃんも教員
っていう環境で育ったの。

両親からは怒られた記憶がないんだけど
同居してたおばあちゃんはすっごく厳しくて
「あの子はイイ子だったのに」って
いつも孫同士比べられて肩身が狭かった。

そんなおばあちゃんに
嫁の立場のお母さんも気を遣ってるのが分かるから
長女の私がイイ子じゃないと
お母さんが悲しむって思って
『イイ子じゃないと生きてられない』感じだった。

わたしがオール3とか
良い点数をとると
なんか家の中がイイ感じになるんだよね
おばあちゃんの機嫌がよくて。

だから
将来なにになりたいの?って聞かれても
「保育園の先生」
って言っておけば気に入られるって
分かってて答えてたの。

とにかく空気を読んで
人には優しく勉強もがんばるイイ子で
陰では妹に当たってたみたいだけどね(笑)

自分を抑えたストレスで限界

そんな感じで幼少期から
自分を「無し」にして
生きることがスタンダードだったから
本当の自分が分からなかったんだよね。

高校入って友だちがバイトしてるのを見て
やりたいなーって思っても
「おばあちゃんお母さんがどう思うかな?」
って考えて自制してた。

最初に勤めた仕事も過酷で、
働く環境が悪すぎて
みんな辞めていくんだけど
私はなかなか辞められなくて。

食生活も乱れてアトピーもひどくなって・・・

でも1回勤めたら
長く勤め上げないと!
根性でがんばるのが当たり前!
って植え付けられてたから
なかなか
「辞めたい」って言えなかったんだよね。

3年我慢して
「辞める」って言ったとたん
アトピーがスーッと治って
あぁ、ストレスだったんだなって気づいた。

義理実家で気を遣い合う息苦しさ

その後も薬剤師として勤めながら
結婚して千葉へ移住することになって

1年目に長女ができて
すご~く楽しかった!

友だちもいないし少し孤独だったけど
仕事を休めなかった時代から
堂々と自由を得た感じ。

人生で初めてゆっくりする時間ができたと思って
すごい開放感だったの。
育児休暇、最高じゃんってね。


長女が生まれた翌年に
旦那さんが接骨院を開業して
軌道に乗るまで同居しようってことで
茨城で同居生活がはじまるの。

専業主婦の義理の母と
義理の父も弟も同居だったけど
みんなとてもいい人で。

でも
自分と実の親との関係があったから
お互いに気を遣いすぎて
息苦しかった。

同居と同時に次女の妊娠がわかって
早産で救急搬送されて
2か月入院したんだけど
もう、2か月の入院期間が最高だった。

私って、ベッドの広さだけで
幸せなんだなっていうのを痛感。

産後も同居はしばらく続いたけど
次女が2歳のときに独立して家を出たの。

家を出てからは、お義母さんともいい関係。

子どもを預けるとかは
やっぱり頼みづらいけど
実の親のほうがもっと頼みづらいかな。

のびのびとした保育園から一転

子どもたちを通わせてた保育園は
のびのびとした環境。

「お勉強はあとからついてくるから
 いまは身体づくりを大切にしましょう」
っていう指針で
その考えに私も納得して通わせてた
はずなんだけど・・・

長女が小学校に入学したとたん
頭と心と感情が不一致になったの。
長女じゃなくて、私が。

勉強をちゃんとやろうとしないことを
厳しく叱って

なんでできないの!?
なんでもっと丁寧にやらないの!?
ってずーっと怒ってる。

幸い長女は
学校の環境に馴染めたし
勉強も好きだったから
すぐに追いついたんだけど。

泣き叫ぶ次女の登校拒否

でも次女は違って・・・
1年生の担任の先生とも合わなかったんだよね。

細かい文字のハネとか止めとか
厳しくて
ほとんどバツつけられて。

自由で楽しかった保育園から
一転して厳しい学校生活で苦しくて

急に泣き叫んで登校拒否が始まったんだよね。

持ち物・忘れ物に過敏になって
「あれが無かったら怒られる!すぐ買ってきて!」
って泣き叫ぶ。

2年生の途中からは
あまりに勉強ができないことで
障害かも知れないって言われて。

支援学級に行ってみたら
そっちのほうが楽しかったみたいで
普通学級じゃなくて支援学級に通った時期もあったな。

私、以前は不登校の子のことを
自分の意思を持っててスゴイなってリスペクトしてたの。
でも実際自分の子が不登校になると
仕事にも支障をきたすし
すごく大変。

次女が3年生になると
週1回正安寺さんのフリースクールが
はじまったから
そこに通うようになったんだけど

私自身、勤めに出てるわけでもなく
自分が面倒を見られる状況なのに
フリースクールに預けることや
学校を休むことが
なかなか許せなかったんだよね。

でも次女は
すごく楽しそうに行ってて。

半年くらいかけて
少しずつ許せるようになったかな。

いまでも葛藤しながら見守ってる。

子どもを産むごとに人生を取り戻してる

子どもたちのおかげで
自分自身を見つめ直すきっかけを
もらってる気がする。

生きるって何だろう?
自分って一体何をやりたかったんだろう?
目の前に起きてること以上の
感情が出てくるのは何なんだろう?
とかね。

幼少期から自分を無くしてきたから
私は何をされても怒らない人だと思ってたし、
湧いてきた怒りを一瞬で消してきたと思ってたの。

でも消してたんじゃなくて
溜めてたんだな、と。
自分の中に『怒り』があったことを
知れた。

子どもが生まれるたびに
子育てにまつわる健康とか個性とか色々と
学びたい気持ちが大きくなって、
どんどん人間関係とか生き方とか
考え方も広がってる。

私は子どもが生まれて
人生を取り戻してきてる感覚。

カチカチに固めてきた人生の
手放しが始まったのかな。

旦那さんも
「人と同じじゃなくていい」っていう
考え方の人だから影響受けてるのかも。

何者にもならなくていい

じつは三女が生まれるときも
早産で2か月入院したの。

そのとき
とにかく自分の居心地を良くするために
ワガママを言ったの。

起き上がるのもNGだったから
明るい窓側のベッドにしてもらったり
牛乳はダメだからカフェオレにしてもらったり

そうしたら
家族やまわりへの感謝がわきあがってきたの。

私はただベッドに寝て感謝してただけなんだけど
隣のベッドの方が退院されるときに
「隣にいてくれてありがとうございました」
って言うし、
病院のスタッフさんには
「いままでで一番いい患者さんだった」
って言われるし。

ただ何もせずに感謝してるだけで
いいエネルギーが循環するっていうことに気づいた。

何かしてないと価値がないんじゃなくて
ほんと
お母さんは何者にもなろうと
しなくていいんだよね。

後藤 恵理子さん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!