網代 早樹さん

網代早樹さんの写真
  • 網代早樹さん 1981年生まれ 茨城県在住
  • 第1子/2010年3月生まれ/小学5年/10歳(女)
  • 第2子/2019年3月生まれ/1歳(男)
    ※掲載の年齢は取材時のものです。

写真撮影協力:早樹さんのご主人

看護師として現在は茨城県内の大学にて臨時教員として活躍している網代早樹さん。ヨガインストラクターとしての活動や、不登校の親の会なども主催。さまざまな思想をもつ活動家さんと多彩なコラボレーション企画を作り上げています。
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受け入れられなかった 娘の不登校

娘(第1子)が小学2年生の終わりごろから
学校に行きたがらなくなりました。
いまも不登校です。

当時は娘の気持ちが理解できなくて
家から引きずり出すように
無理やり行かせていました。

私のなかで「学校に行かない」
という選択肢はなかったんです。
そんなこと想像したこともなかったので。
不登校ってなっちゃうと
世間体も気になるし。

実際、最初はどうしていいか分からず
だれに相談すればいいのか
分からなかったので
学校の先生に相談したんです。
そしたら

「低学年のうちは
 無理やりにでも連れてきてください。
 学校にまで連れてきてくれたら
 あとは私たちがどうにかしますから。」
って。

で、私、先生の前では
“いいお母さん”で居たかったんですよ。
だから
「はい、はい」って
素直に聞いてたんですよね。

心のなかでは
「無理やり?
 行かなくてもいいんじゃないのか?」
と感じながらも
体のほうは
「やらなくてはならない!」
ってなって
心と体がぐちゃぐちゃでしたね。

それからしばらくは学校行かせるために
めちゃくちゃ先回りしてやってました。
学校の準備もランドセルにセットして、
同じ登校班のお友だちにわざわざ
家まで迎えに来てもらったりして。

でも娘は行きたがらなくて。
そうなるとますます
「お友だちにも迷惑かけてる、どうしよう」
っていう気持ちが先立って
イライラしちゃって。


 

ある日とうとう壊れたんです。
私が。
「早くして!早くして!」って言い続けて
もうイライラがピークになって
娘のランドセルを
思いっきり蹴っ飛ばしたんです。

そしたら
「痛ってぇー!!!!!」
って親指の皮がベロンって剥けたんです(笑)

その瞬間
ぶわ~~~~~!!
って感情がこみ上げてきて

「あぁ、もぅこれやめよう」
って。

学校の先生にも
「無理やり行かせるのやめます」宣言!

それで
主人とも話し合っていっしょに
「不登校を、理解しよう」
って、いろんな情報を集め始めました。

主人はとりあえず
「不登校で育った人の経験を聞きたい」
と言って
千葉県まで
いっしょに話を聞きに行きました。

小学校中学校が不登校だった人でも
立派な人いっぱいいるんですよね。

夫婦で話を聞いた結果
「うん、大丈夫だね。
 無理に行かせなくても」

という結論を出しました。

娘は、行きたくない理由も
はっきりとは言わないんですよね。
でも、いまは言葉に出せなくても
話せなくても、それでいい。
そう、夫婦で決めたんです。

不登校のモヤモヤ解決

それからは、打って変わって
世界が広がりました。
娘の不登校をきっかけに
人の縁が広がったんです。
私の行動力もすごく変わりました。

いま、不登校の親の会を
立ち上げて活動するようになったんですが

不登校の人の親って
すごいんですよ。

最初はみんなドヨーンとしてるんだけど
涙の後の快進撃が
すごいの!

みんなの経験・情報を
共有してもらっていくうちに
どんどん気持ちが楽になりましたね。

たとえば
学校にお休みの連絡を入れること
ひとつとっても
親としては毎日のストレス。

最初は
「調子悪いので休みます」
って毎日電話してたんです。
でもね、いちいち担任の先生
呼び出してもらったり
やりとりするのが面倒で

「行く時だけ電話します!」
に変えてもらいました。
でもそれでも
学校のほうも毎回違う人が電話に出るし
いちいち説明するのが大変だったから

さらに注文を加えて
「電話のたびに確認されるの嫌なので
 情報を共有して一律にしてください!」
ってお願いしたんです。

毎日のことなので
めちゃめちゃ楽になりました。

あとは、
給食費とか支払い続けてたんですけど
どうせ食べないんだから
「給食止めてください」
って、言っていいんですよね。

これって教材費なんかも一緒で
もらってそのまま捨ててたドリルとか
もったいない!
止めてもらいました。

先輩方に教えてもらって
いろんなモヤモヤがスッキリしました。

信頼できる相談相手

私と娘がよく利用しているのが
『ゆめのいえ Play Earth Project』
茨城県だと水戸市と行方市にあります。

元教員と保育士の方が立ち上げられた
フリースクールで
不登校の子たちを
“自分を好きになれる”ようにと
導いてくれるスクールなんです。

『ゆめのいえ』が素敵なのは
学校のことも否定しないんです。
行っても行かなくてもどっちでもいいから
自分のことを好きになれるといいよね。
って。
学校に行くことのメリットも
伝えてくれています。

子どもたちの学びの時間は
なんでも好きなことやったり
勉強したい子にはイチから教えてくれる。


親のための時間もあって
カウンセリングやコーチングも
してもらえるんです。

私はここで
いろんな問題を切り抜けるコツを
教わりました。
いつも私のなかで、
自分と自分が争ってたんですよね。
それを、争わなくていい方法を
教わりました。

『ゆめのいえ』の方たちとは
お話していて
魂と魂が話してる気がするんです。

教育者としてのプライドをかざしたりせず
分からないことは「分からない」って
言いながら
鎧をつけることなく
素直に話してくれるので
私は心から信頼することができました。


『ゆめのいえ Play Earth Project』ホームページはコチラ↓
https://www.playearthproject.com/


親族からのプレッシャー

娘が不登校になった頃までの私は
いつも他人の目を気にしていました。

よくよく考えると実母と同じ性格で。
悩んだことを深堀りすると
必ず実母が出てくるんですよね。

実母は常に
ちゃんとした親、ちゃんとした妻を
やろうと一生懸命でした。
人付き合いは上手でしたから
仕事仲間からは慕われていたけれど
いつも他人の目を気にして
精神的に病んでることも多かったです。

だから私も
「この親に育てられたから自分も
 病みやすいんだ」と
親のせいにしていた頃もありましたが
つらい状況をなんとかしたくて
必死で心のことについて学んだんです。

そこで
“何か成果をあげないと愛されない”とか
“人が喜びそうなことをしなければ”とか
幼少期の自分が自分に設定した枠に
気づきました。

母親のことを認めていないから
自分のことも認められないということも。

そんなふうに
自分で自分を押さえつけているものだから
子どもに影響が出たら
過敏に反応しちゃうんですよね。
娘を完全にコントロール
しようとしていましたね。

でも私は心について学んで
気づくことができて
母のことも大好きだってことが
分かったし、それを認めることで
自分も認められるようになって
子育てする上でも本当に救われました。

親族という部分で言えば
娘の不登校についても
やっぱり言っておかないと、と思って
自分の親や義理の親にも
相談したんですよね。
そしたら決まったように
「学校は行かないと~」って言うんです。
聞いてるのが嫌になってきましたね。

だから途中からは相談するのをやめました。
なんでもかんでも
親に相談しなきゃいけないって
思ってましたが
「相談する相手って選べるんだ!」
ってね。これもすごい発見でした!

そのうち親たちも諦めましたね。
最近では
「〇〇(娘)は時代の最先端だね~」
とか言ってます(笑)

最後に

子育てがんばってるママたちは
もっと自分を許してあげよう!
認めてあげよう!
だれよりも自分と仲良くなってほしい。

自分のできてるところを
もっと見てあげよう!

自分が思っている以上に
まわりの家族や友人は
自分のことを認めてくれてるんですよ。
いちばん制限をかけているのは
自分なんです。
自分が本当に喜ぶことを思い浮かべながら
それを一歩ずつ
実践していってほしいです。

ちなみに私のいまの目標は
バリ島のジャングルに移住することです!

網代早樹さん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!