横山かおりさん

  • 横山 かおりさん 1983年生まれ 茨城県在住
  • 第1子/2015年2月生まれ/小2(男)
  • 第2子/2016年12月生まれ/年長(女)
  • 第3子/2019年5月生まれ/3歳(男)
    ※掲載の年齢は取材時のものです。

看護師として10年のキャリアを持つかおりさん。3児の母として、自分の働き方に悩みながらも現在は特定保健指導員としての資格を活かしたお仕事に携わっておられます。かおりさんの作るシンプルで素材の味を活かしたお料理はお友だちの間でも大好評♬
第3子の未來くんは、知的・最重度、身体障害・1級の重度心身障害児。キャリア志向で完璧主義だったかおりさんですが、未來くんの出産をきっかけに、生き方も考え方も大きく変わってきたようです。かおりさんの等身大の言葉が胸に刺さります。

ハプニングだらけの一人目二人目出産

一人目の出産は
自宅で産もうとしていたの。

看護師の自分と、看護師の母と、
それに助産師さんも家に呼んで万全の体制で。

なのに陣痛が微弱になって
心拍も小さくなってきたから
結局病院に運ばれて
病院で産むことになったの。

ま、看護師だからもうその辺はよく分かってて
病院でって決まったときは
「はいはーい」ってすぐ気持ち切り替えてたなぁ。


二人目はねぇ
前置胎盤で出産3か月前から出血があったから
絶対安静で入院。

そしたら出産予定日の2か月前に
病院のベッドで大出血して
緊急帝王切開。

生まれてきた赤ん坊はもちろん未熟児で
2,000グラム以下。

心音も呼吸もなくて泣きもしない。

即蘇生がはじまって
映画観てるかのようだったよ

「あぁ、私はこの1時間後に
 赤ちゃんが死んだって泣いてるのか」
って頭の中は冷静で。

でもそれが無事に生きてくれて
呼吸器つけてNICUに1か月入院したら
無事退院できて、
いまでは元気いっぱいだもんね。

染色体の異常を知らされる

三人目の未來(みーくん)の出産は
産むまでは何の異常も予見されず
帝王切開で産んで直後

「呼吸が弱いから救急搬送します」

って、言われて。
私はお腹開いた状態で

「あ、またかー」(二人目の時と同じ)

って感じで。

でもそのあと先生から

「染色体異常の検査を受けませんか」

って言われたの。

それでもう
「あ、これは何かある」
ってピンと来たの。

そういえば
生まれた時の泣き声聞いた時
「なんて可愛い泣き声してるんだろう~」
って感じたのを思い出して

調べてみたら思い当たる病名が見つかったのよ。


検査の結果が出るまで
二週間くらい待たされて。

どうか間違いでありますようにって
祈りながらも
調べれば調べるほど
その病気しか思い当たらなくてね。

旦那と一緒に結果を聞きに行ったら
思っていた通りの病名で

「はい、そうでしたよね。調べてた通りです。
 大丈夫です。」

って、表面上は冷静に淡々と受け止めたの。

心の内はドキドキしてて頭は真っ白。
沼に落ちる感じだった。

病名は、指定難病の
5番染色体の欠損で『5p欠失症候群』
別名、『猫鳴き症候群』。

生まれた時の泣き声は
猫が鳴くように可愛い泣き声だったの。

夫婦の結束

でもね、赤ちゃんって
可愛いじゃない??

息してるだけで、生きてるだけで
そのまんまで可愛い!すばらしい!

障害がある無いに関わらず
命の輝きに勝るものはないわけよ。

捨てるわけにもいかない。

誰かに託すわけにもいかない。

自分で「育てる」っていう
一択しかない。


そこで私の中のスイッチが入るんだよね。

スイッチが入ったら今度は
先読みして色々考え始めて

この子を育てるうえで
仕事はどうしよう?
預けるところはどうしよう?
私たちが死んだあとはどうしよう?
上の子たちが結婚するときに、障害児が居るって知ったら
相手の子に断られたらどうしよう?

色々考え出したら心配がふくらんで
旦那にぶつけてたんだよね。

そしたら

「起きても無いことを心配してもしょうがない」

って言ったの。

その時、
「あぁ、この人と離婚しなくて良かった」
って思った。


みーくんが産まれる前は
夫婦喧嘩が絶えなくて
「自分のほうが大変だ!」を
お互いアピールしてた。

でも今は、
そんなマウントの取り合いじゃなくて
タッグを組むしかないよね!
って夫婦で協力できるようになったの。

私は先読みして万全に万全を期すタイプなんだけど
不安にかられるとキリがないから
その時起きたことを
その都度一緒に対処していけばいいじゃんって。

みーくんのおかげで
夫婦が仲良くなれたと思う。

母の言葉

私の母親は看護師で、
小さいころの母の記憶と言えば
夜勤前で寝てるか、仕事に行ってるか。

でも家事も完璧にこなす母でね
私も将来は母のようにキャリアを築いて
母のように生きて行くんだと思ってた。

母にほめられたい、認められたいって思いながら
生きてきたからね。

それが、障害児のみーくんが産まれて
働き続けられない!一生介護?
母のようなキャリアは築けないって考えると
私にとって大きな大きな転換期。

私は自分の人生を
切り開いていかないといけないんだって
強く思ったの。


そうしたらさ
ある日、母が言ってくれたの

「あんたすごいよ、3人育てて働いて
 お母さんができないことをやってるよ」

って。

もぅ、その言葉で
ガーーーっっっと肩の荷が下りたの。

ようやく母子分離だよね。

どんなに母にアドバイスをもらっても
私の子育てなんだから
私にしかできないし、
私にしか分からない。

自分を幸せにするのは自分

実際、障害児を産んでショックだし
不安だったけど
当時は「ショック」って思いたくなかったの。

「ショック」って思うと
みーくんを否定してしまう気がして
そんなこと思っちゃいけない!ってね。

でもね、改めて考えてみると
自分の中に障害児のいる家族や障害児に対して
偏見があったって気づくんだよ。

その偏見を持ってるから
可哀そうって思うし、そう見られるんだ!

「いやいや、私、可哀そうな人には
 なりませんから!」

将来、障害児を持って可哀そうな人だった
なんて言わせない!

幸せないい人生だった!って思いたいから
人生の中のキラキラや楽しさを見つけながら
生きて行くんだって思ってる。

そう言いながらも
一方では、不安で足もとグラグラすることもあるけどね。
それは障害があるって結果を聞いた時からずっと抱えてる。


障害児がいる子育ては本当に大変だし
転換期だらけ。

でも、自分で自分のことをどう思うかは
選べるじゃない?

宝物に囲まれて幸せだった~
って、死にたいから。

自分を幸せにするのは
結局、自分なんだよ。

がんばりすぎない!

家族に障害児がいるってことで
色んな場面で考えさせられることは多いよ。

たとえばハワイアンズに行くとして
ちょっとくらい大変だとしても
私は一緒に連れて行きたいんだよね。

でもそうすると上の子たちは
のびのび遊べなくて楽しめないかも知れないし
もう少し大きくなったら
「みーくんのせいで楽しめない」なんて
言うかも知れない。

しかも、みーくんは泳げないから
連れて行かないほうが本人にとって幸せかも。

そうなると、
みーくんには何もできなくて
どこも連れて行けなくてゴメンって
気持ちが出てくる。

上の子たちにどこまで面倒を見てもらうかも
悩みどころで、

負担をかけたくないから
「自由にあなたたちの人生を生きなさい」
と言いたい気持ちと

「みーくんのことを頼むよ」
と言いたい気持ちと両方あるの。

とりあえず今は、
上の子たちの気持ちもケアしつつ、
「やりたくない時は言ってね」
って伝えながらお願いしてる。


でもそういう悩みも手放していかないと
抱えきれないのよね。

私と旦那だけで抱えるのはムリ!
どんどんオープンにしていこうって思ってる。
弱さを隠さないように。

本当は、私の性格的には
誰かに「助けて」とか言いたくないの(笑)
全部自分でやりたい人だから。
でも、しょうがない。

いずれ私たちが居なくなっても
横山家応援団みたいな人たちに
助けてもらえるように。

「障害児」としてではなく
「かおりちゃん家のみーくん」として
ごくごく普通にサポートしてもらえるように。

がんばりすぎると、つぶれちゃうから
家族も含めてみんなで助け合える
環境を育んでいきたいな。

横山 かおりさん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!