石塚 利津子さん

石塚利津子さん写真
  • 石塚 利津子さん 1964年生まれ 茨城県在住
  • 第1子/1986年11月生まれ/社会人/35歳(男)
  • 第2子/1988年8月生まれ/社会人/33歳(女)
  • 第3子/1995年1月生まれ/社会人/26歳(男)
  • さらにお孫さんが4人♪
    ※掲載の年齢は取材時のものです。

写真撮影協力:利津子さんのご主人

家族を幸せにする女性を応援する石塚利津子さん。ご自身の子育て経験を、子育て中のママさんたちに役立ててほしいという思いから、数々の体験談を赤裸々にブログにつづっておられます。
利津子さんのブログ『家族を幸せにするりっこばあばのブログ』もあわせてお読みください。

母親失格の水の事故

私は20歳で同級生と結婚をして
22歳で長男を出産しました。

そして長男が1歳3か月
お風呂で溺れさせてしまったんです。

もぅ、母親失格ですよ。

自信も何もかも無くしてしまいました。
けれど、お腹には第二子を授かったばかり。

この時のお話は、利津子さんが詳しくブログにつづってくださっています。
ぜひお読みください。

必死に人工呼吸をして
病院に連れて行きましたが
肺に酸素がいっていない
真っ白だと言われました。

幸いにも一命はとりとめましたが
どれくらい障害が残るかわからないと
告げられました。
6歳まで、脳波の検査に通いました。

そのとき母親失格になった私は
子育てのためなら何でもやる!と
決めました。

徹底的な幼児教育

幼児教育と言われるものは
なんでもやりました。
絵本も「もう一回読んで」
といわれたら何回でも読みましたので
声が枯れるまで読んでいました。

100冊くらい暗記していましたね。

一生懸命子育てに向き合うことで
自分も大人になれた気がします。
若かったですから
子どもが子どもを育ててたようなもんですよ。

長男はみるみる成長しまして
2歳で本もすらすら読めるようになり
絵日記まで描くようになったんです。

これは公文式にでも通わせようと
思いまして通わせると
幼稚園にあがる前に
全国10位以内なんて成績を
おさめるようになりました。

いま思えば
教育ママみたいなことを
やっちゃったんですよ。

3人目を産んでからは
幼児教育はやめましたよ。

今度は全く何もしない子育てです。

勉強勉強ってやってると
だんだん負担になってくるんですよ。
でもね、ふと思ったんです。
子どもたちがいまやるべきことは
外で思いっきり遊ぶことだなぁ~
って。
そこまで頑張ってやらなくていいな、と。

嫌なことはやらなくてイイんです。
習い事とか塾とか
お金つかってれば教育してる気になるんですが
イヤイヤ行くくらいなら
やめればいいと思いますよ。

第三子を見てるとすごく思うんです。
何もできなくてもそれだけでかわいい!
孫のような存在ですよ。

全然大丈夫って思いますよ。
子育ては楽しめるのが一番。

やっといてよかった幼児教育

やっといてよかったと
思うこともありますよ。
絵本の読み聞かせはよかったですね。

好きな本はいくらでも買って与えました。

絵本を読んでる子というのは
理解力が育つ
んです。

勉強も問題のとらえ方が大切じゃないですか?
テストの問題の読解力。
道徳とかもね。
色んな種類の色んな本を読むほうがいいです。
その後が本当に楽になるから。

理解力を教えるって
難しいですからね~!

第三子は早生まれで
小学入学時にはカタカナしか
読めないような子だったので
心配していましたが、
小学校のうちは
漢字テストと計算が
ある程度できてれば
ぜんぜん大丈夫です。


しつけはしてません。
自由に育てたつもりです。
しばりつけることはしませんでした。

勉強は習慣にすることが大切ですね。
子どもは遊びのようにやって
ほめられたらうれしくて
また勉強したくなる。

子どもも親も負担のない程度にね。

とくに
これまでの時代は勉強ができたらいい
とされてきた社会だけれど
これからは色んな生き方が
できるようになります。

点数主義からは違うところに来ました。
横並びの競争はなくなるはず。

もっと自由でいいと思います。

子どもを預けること・社会に出ること

上の二人のときは
「子どもを預けるなんて」
っていう気持ちがありましたからね。
とくに第二子は
自分の分身みたいな感じだったので
どこに行くにも私は透明人間になって
着いていくような感覚。
ベッタリでした。

けれど、母親とだけベッタリでは
社会性が育たないと思って
幼稚園に通わせました。

第三子にいたっては
夫が経営をはじめたことも
きっかけで
産後0か月から保育園にあずけました。

仕事も忙しかったですから
ほとんど保育園暮らしでしたね。
でも、第三子を見ていて改めて
保育園に通わせて
いろんな人の愛情を受けるって
大切だなぁ
って実感しました。

兄弟三人もいると上の子たちが
下の子を面倒みてくれますしね。
四人目ほしいなぁなんて話をしてたら
お兄ちゃんに
「お母さん、やめてください」
って言われちゃいました。
育てるのはお兄ちゃんだから・・・笑

完全母乳にこだわった乳児期

全員母乳で育てました。

あれって最初が問題なんですよね。
なかなか吸い付かないし。
第一子のときは
「母乳だけで!」と
こだわっていました。
子育てイコール母乳、みたいな考えが
あったんですよね。

子どもが泣いてても
一生懸命母乳をあげて
がんばってました。

今思えば足りてなかったから
泣いてたんじゃないかと思います。
無理しないでミルク足してあげれば
良かったと思います。

でも母乳育児は楽でしたから
1か月くらいは格闘したほうがいいと思います!
産後なんて、
それだけやってればいいんだから!
他のことはやらなくていいんです。

第三子のときはだいぶ適当になっていましたから
仕事してたらいつの間にか
あげるの忘れてて
母乳も出なくなってました(笑)

長女と金髪の反抗期

第二子の長女は
中学までは何もなかったんですが
高校に入ってから荒れましたね。

お兄ちゃんと同じ
進学校に進学したんです。

でもある日、金髪になって帰ってきて。
学校に行くときは
金髪に黒いかつらをかぶって行ってましたね。

学校帰りに
とあるグループの集いに
行ってたみたいですよ。

もぅ、親としてはよくわからないから
早くそのやりたいことを終えてくれ!
っていう想いで見守ってました。

とにかく単位だけは落とさないで!
と言っていましたね。
でも本人も大学は行きたかったらしく
2年生の夏に終わりましたね。
「卒業してきた」って花束かかえて。

そのグループ卒業後は
大学に向けて猛勉強です。
志望校にもちゃんと受かって。
いまも金髪のお母さんやってますよ。

中学校から毎日電話の第三子

第三子の息子は、
中学校から毎日電話がありました。
でもね、毎回
先に息子から報告はあるんです。
「今日、学校でこんなことあったから
 先生から電話あると思う」
って。

そうやって話せる親子関係って
大事だと思います。

反抗も喧嘩も
子どものうちにやらないと
社会に出てからは
できないですからね。

子どもには何も言いません。
ただ、母親が謝ってる姿を見せるんです。

子どものために頭下げるなんて
簡単なことですから。
ダメなことしたときは
子どもはわかってるんです。

どうふるまえば子どもが嬉しいかな
って考えながら接してました。

「勉強しなさい」は
学校でいやになるほど言われてるので
お母さんがやるのは
ご飯を作ることと
布団たたきでストレス発散すること!

やる気がなかった高校受験

第三子の高校受験はすごかったです。

クラブチームでサッカーやってたんです。
中学3年の11月まで!
その段階で
5段階評価のオール③
夏休み前に英語は30点。

上の二人が進学校に入ったので
3番目もそこに入りたかったんですが
全然点数が足りなくて
志望校名は書けなかったですね。

ちょうどその頃
『ドラゴン桜』の漫画が流行って
私と息子で夜通し見て
そこから受験勉強が始まったんです。

受験前日は、勉強したいからと言って
学校休んでも受験勉強していました。

それで何とか合格!
高校ではTOEIC 900点とれる人になりました。

だから何とかなるんです!

きっかけがあればやるんですよね。
親は、子どもがやりたいと思ったときに
協力できるよう信じて待ってる。

いつも味方でいられたらいいですよね。

兄弟げんかを受け流すコツ

私自身長女だったので、
いつも「お姉ちゃんなんだから!」
と怒られてたのが嫌でしたから
「お兄ちゃんだから!」
とは言いませんでしたね。
基本的にはお兄ちゃんびいき。

そうしたら
お兄ちゃんが下の子の面倒を
みてくれるようになるんです。
ママを一番助けてくれる人です。

でも喧嘩のときは両成敗です!

喧嘩して泣きだしたら
「そっちで二人で泣いてちょうだい」
って、部屋に入ってもらってましたね。

全部子ども同士で解決してね、と。
そのせいか
今でも兄弟の絆は強いですよ。

離婚危機と激しい喧嘩

離婚危機、ありましたよ~

長男4歳、長女2歳くらいのときに
夫の浮気を疑ってね
離婚届をもらってきて
サインしてもらったんです。
これと決めたら即行動の人間ですから(笑)

そしたら私の母が止めに来たんです。

「子どもが2人いて、
 子どもを育てあげるまでの貯金できてるの?
 お金ができたらどうぞ離婚してください。」
ってね。

離婚するな!とは言わなかったですね。
それで私も落ち着いて考えて
お金貯めてからにしようって
離婚届は金庫に入れてました。

税務署の調査が入ったときに
職員さんに
「これは見なかったことにします」
って言われたのは今でも笑い話です。

実家のほうから「戻ってきなさい」とか
簡単に帰れるところがあると
離婚しちゃってたかもしれませんけどね。

ま、早めにお灸をすえておくっていうのも
大事です。


喧嘩はしょっちゅうです。
お互い言いたいことは言うし
同級生ということもあって
ゆずりませんからね。

手料理にしても
「これしょっぱい」とか
結婚して37年たちますが
今でも言いますよ。

ある時、天ぷらを揚げてるときに
喧嘩になりましてね。
さすがに天ぷら油をかけたら犯罪ですから
頭から天ぷら粉をかけあったこともありますね。
二人でドロドロ(笑)

毎回何時間かで終了して
夫が謝りに来ます。
さっきはゴメン
ってね。

出来の悪い長男だと思って
あきらめてます!

でも、家族のなかで
我慢はしないほうがいい。
価値観が違うのは
生きてきた時間が違うんだから当たり前。
どっかで摺り寄せていくしかないんです。
それをあきらめちゃいけない。
お互いに言いたいことはちゃんと伝えて
とことん喧嘩する!

大家族のありがたみ

じつは第三子を授かる前に
TA心理学の先生に言われたんです。
「健康な子を産める人は、
 産めない人のぶんも
 もう一人産みなさい
 産みたくても生めない人もいるんだから」
ってね。

それで、第二子が小1になるころに
もう一人産もうと決心しました。

産んでよかった~
家族は多いほうがいい!

いまも助けられてます!
それぞれがいろんな考え方を教えてくれるし
家族は本音で言ってくれるんでね。

夫の経営するレストランが
5年前に倒産したんですが
子どもたちに協力してもらって
閉められた感じですね。
店をたたむにもお金かかりますから。
お金がないからお店たたむのにね!(笑)


親子関係も
どこかで変わる時が必要です。
いま私は
かわいいおばあちゃんになることも
大事かな、と思っています。

私の母はもういませんが
最期の頃は私たち子どもがお世話しました。

元気な頃には
母に子どもを預けた時期もありました。
母も娘からの頼まれごとを楽しんでたと思います。

そしてどこかで逆転して
子どもにお世話になるときがくるんですよ。
大変なときは
上手に支えあうことが必要だと思います。

親は子どもにしてあげたいけど
子どもも親にしてあげたいんです。

素直に甘えないとね。

親だからと言って
強くなる必要はないんです。
弱いところ、こういう気持ちなんだってことを
子どもたちに素直に見せたほうがいい
完璧なお母さんからは学べないですから!

家のなかにいろんなダメな部分の
人がいるって大事です。

子どもの成長と親の成長

赤ちゃんの鳴き声も
BGMと思えば大丈夫。
おむつもお腹すいてるもないなら
赤ちゃんも泣くことで
運動してると思えばいいんです!

1歳になれば母より何でも
うわてですから。
欲しいものは
指図して手に入れるし、
買い物行って駄々こねて試されたり、
お客さま来てるときは
悪いことしても怒られないとか
いつも子どもに試されてる!

人として、子どもがいなかったら
成り立ってなかったって思います。
子育てしてたら
まわりにも寛容になれますしね。

そうして
いつの間にか大人になって
家を出ていくんです。

長男が実家から離れるときは
スーパーで買い物しながら
泣きましたよ。
あの子が好きな
この料理を、もう食べさせられない・・・
ってね。

最後に 子育てママたちへ

ママたちは
もっと相談して吐き出してほしい
もっと子ども生んでほしい
めっちゃ楽しいから!

せっかく女性に生まれたならば
経験したほうがいいと私は思います。

じつは私は若いときは
子ども欲しくなかったんです。
近くに可愛い子いなかったんで(笑)

でも、自分の子どもは可愛くて可愛くて。

五体満足で産まれてきてほしい
って、想って産まれるのを待っていた
その気持ちを忘れないでほしい。

楽しい思い出をいっぱい作っておけば
子どもにとっても
親にとっても宝物です。

子育て
楽しんでください!

石塚利津子さん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!