- 池田 陽子さん 1974年生まれ 茨城県在住
- 第1子/1998年10月生まれ/23歳(男)
- 第2子/2000年11月生まれ/21歳(女)
※掲載の年齢は取材時のものです。
一人ぼっちが一番つらかった
栃木の実家暮らしから
結婚して、茨城に移り住んで来た当時は
話す相手もいなければ
どこに行ったら何があるのかも
分からなくて。
旦那さんは仕事が忙しくて
朝から夜中まで会社だし、
私自身は仕事もしてなかったから
毎日車に乗りながら
ちょっとずつ散策するのが日課でした。
そろそろ仕事を探そうと思った矢先
妊娠が発覚して。
それから2~3か月間は悪阻がひどくて
布団から起きられない毎日。
毎朝布団の中から
「いってらっしゃい」
そして、夜もそのままの姿で
「おかえりなさい」(笑)
買い物も行けず
旦那さんに食べられそうなものだけ
買ってきてもらって。
少しお腹が大きくなってきたら
動けるようになったけど
今みたいにSNSも使ってなかったから
世間から遮断された生活で
しゃべる相手は旦那さんだけ。
その旦那さんも
相変わらず朝早く出て行って
夜遅く帰ってくるから
疲れてるだろうなぁと思うと
あんまりしゃべれないし。
いま思い返すと
子育てというより
子どもが生まれる前の
一人だった時が一番つらかったなぁ。
二人目育児でキャパオーバー
子どもが生まれてからは
子どもの存在があるだけで
一人ぼっちのときより
全然ラクだったの。
子どものお世話することで
忙しかったけど
子どもに合わせて生活できるし
誰か他の存在がある
っていうことがありがたかった。
一人目のときは
住んでいたアパートが
旦那さんの会社に近かったから
お風呂に入れるときとか
仕事を抜けて帰ってきてくれてたから
すごく助かってたんだよね。
二人目ができてからは
キャパオーバーになったなぁ。
帝王切開の傷口の経過が
あまりよくなくて
産科の先生には「動くな」
って言われたんだけど・・・
動かざるを得なかったよね~
二人目がお腹にいるときに
家を建てて引っ越したから
旦那さんの会社から遠くなって
一人目のように
仕事の途中でちょっと帰ってくることも
できなくて。
お兄ちゃんは赤ちゃん返りして
目が離せなくなってるのに
家が広くなった分
目が届かなくて大変だった!
見えないところでお兄ちゃんが
妹をつねってみたりして(笑)
お兄ちゃんの行動に目を光らせて
すごく神経使ってたなぁ。
理解不能の思春期男子
お兄ちゃんが中学1年生の終わりくらいから
会話ができなくなったの。
こっちが話しかけても返事はないし
うるさく言うと
無言で自分の部屋へ行っちゃう。
なぁんにも言ってこないの。
中学2年の頃はひどかったなぁ。
すぐそこに居るのに、妹を介して
話をする感じで・・・(笑)
学校のことも話してくれないから
ママ友経由で情報もらって。
学校の先生にも相談したけど
「思春期の通る道だから、あたたかく見守ってください」
って言われて。
旦那さんに言っても
「そうゆうもんじゃん?」
という感じで。
そうは言っても私は
どうしたらいいのー!?
って、日々悶々!
深夜に家を飛び出す
ある日とうとう
私が限界にきて
「返事もしないし、何考えてるか
分かんない!」
って大声で訴えたら
息子が
深夜23時に外へ出るっていう暴挙に出たの!
こっちは
「出てって」とは言ってないんだけど!
って思いながら
言ってしまったからには後に引けず
「どうしよう~!」
って、パニック!
もう深夜だし、
警察に補導されたらどうしよう?
帰って来なかったらどうしよう?
って、
私が探しに行こうとすると
旦那さんは
「すぐ戻ってくるからほっとけ」
と。
最終的には旦那さんが
見に行ってくれて。
そしたらすぐ近くの公園に座ってたらしく
旦那さんと時間差で帰ってきた。
この家出騒動、2回やったの(笑)
私も懲りないし、息子も懲りないよね(笑)
私としては
返事が返ってこないことに
耐えられなかったのよね。
何考えてるか分からないから
理解したいっていう気持ちが強くなって
子どもの気持ちも考えずに
自分の思いだけぶつけて。
思春期のホルモンのバランスとか
心の変化・身体の変化なんかも
関係してたんじゃないかなって思う。
中学3年生で部活が終わって
家にいる時間が増えた頃から
少し話せるようになってきたかな。
私のほうも
思春期の息子との会話の距離が
つかめるようになったし
子どもも成長したのかな?(笑)
娘の進路も変えた私の病気
二人目の娘のほうは
いま助産師になるために
一生懸命がんばってます。
もともとは子どもが大好きで
中学校時代の職場体験で
幼稚園に行ったことがきっかけに
保育士を目指してたんだけど、
高校入ってから
「このタイミングで!?」
っていう時に
急に保育士の文系から
看護師の理系の方向に
進路変えたいって言い出して。
それが
私の病気がきっかけみたいなんだよね。
私、心臓の不具合から
脳梗塞を3回もやってるの。
1回目は35歳の時。
お兄ちゃんと旦那さんが
子供会の行事で泊まりで出かけてる時に
倒れたんだよね。
家には娘しかいなくて
急にママが倒れて
ママが何言ってるか分からない状況になって。
私は一生懸命しゃべってるつもり
だったんだけど言葉になってなくて
片手のジェスチャーで「電話電話」
というのを娘が理解してくれて
旦那さんに電話してくれたの。
娘が小学4年生だった。
すぐに近所の人が救急車呼んでくれて
救急隊員が家に入ってきて
それを一人で体験してたんだから
相当怖かったと思う。
それから
2回目に倒れたのは娘が小学6年生のときで
3回目は高校1年生のとき。
こんなに何回も脳梗塞になるのは
おかしいということで検査をしたら
心臓に問題があって
開胸手術が必要となって。
お兄ちゃんが高3で受験の時だったから
どうしようかすごく悩んで
家族に相談したの。
手術の説明をしたら
娘はショックを受けちゃって。
娘だけは私が倒れたところを
3回全部見てるから。
またお母さんが動けなくなるのを
見るのかと思うと
怖かったんじゃないかな。
手術後、入院している私のところに
お見舞いに来てくれてた頃に
看護師さんすごいな
なりたいな、
って思ったみたい。
「ママが入院しなかったら保育士してた」
って言ってたしね。
看護師の世界も厳しいし
実習のたびにグッタリして帰ってくるけど
すごくがんばってるから
応援してます。
助産学生として あと1年で
家を出ることが決まってるんだけど
娘のほうから
「あと1年あるから、がんばって自立してね」
って子離れを勧められて(笑)
娘のほうがしっかりしてる。
私も子離れ準備、はじめてます。
子育てにガチガチにならないで!
私、病気で倒れる前は
こうしなくちゃ、ああしなくちゃ
ちゃんと育てなきゃ!
っていうのがすごく強かったの。
まわりの目も気にしてたし
若くして結婚して子どもが生まれたから
「自分の意思で早く結婚したんだし
キチンと子ども育てなくちゃ」
という気持ちで。
自分の中ではやさしいお母さん
と思ってたけど
子どもたちに言わせたら
「とんでもない鬼ババぁ」(笑)
当時の家族写真なんか見たら
ほんと怖いの!
抹消したい!
あの顔で毎日お母さんがいたら
イヤだろうなって自分でも思う。
厳しくてガチガチで
必死だった。
病気をきっかけに
「母は病気もしないしキチンとしてる」
っていう私の中の固定概念がくずれたから
病気をして本当に良かったと思う。
私、母親になってから
いまが一番キレイだと
本気で思うもんね(笑)
母だって病気もするし
キャパオーバーにもなるし
思うように動けない時もある!
身体壊すまでがんばらないといけない
ことなんてない!
母親って、家事も子育ても
ストイックになりがちだけど
気づいた人がやればいいんだから。
わが家も、
家の中で気づいた人がやる
というスタンスでいると、
だんだんみんなが
やってくれるようになってきたしね。
いまになって、やっと、だけどね。
私もやっと言えるようになってきた。
子どもたちには個性があって当たり前。
もっと自由でいいんだよ。
そもそも親なんて
子どもにできることは限られてる。
多少やんちゃなことやろうが
ケガしようが
子どもが元気でいることを
感謝するだけ。
ボーっとゆるっと
自分のことを大切にしてほしい。
池田 陽子さん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!
エステサロン『yococo』のオーナーをされている池田陽子さん。InstagramやFacebookを活用して『誰でも簡単にできる』美容方法を分かりやすーく紹介されています。
美しく和やかな笑顔の陽子さんとお話していると、まるっとそのまま受け止めてくれる安堵感と心地よい空気感につつまれて、ついつい話が長くなる・・・(笑)
そんな陽子さんにも子育てやご病気など色んな苦難があって、乗り越えてきたからこその現在の姿があるようです。
陽子さんのInstagramページ