- 新堀 友美さん 1986年生まれ 茨城県在住
- 第1子/2020年8月生まれ/8か月(女)
※掲載の年齢は取材時のものです。
初めての妊娠と悪阻
妊娠に気づいたのは
生理予定日一週間を過ぎた頃。
眠くて眠くて
車での通勤も途中で
休まないとならないくらいで。
結婚してすぐのことだったので
自分でもびっくりでした。
それから悪阻が始まって
吐き悪阻、食べ悪阻、
両方つらくて仕事に行けない日が
続きました。
フルタイムでのお仕事だったんですが
幸い上司に恵まれて
来られる範囲で来たらいい
と言ってもらい、
契約いっぱいまで
勤めることができました。
妊娠中は、中毒症までは
いかなかったけれど
血糖値が高いので
注意するように言われたり
便秘で悩まされたりと
色々ありましたが
注意を受けたことを
自分でも気にかけていたので
思ったより太らずに
済みましたし
いまも、産前よりスリムになって
良かったです!
コロナで立ち会いができない出産
旦那さんの立ち会いを
望んでいましたが
コロナウィルスの影響で
出産時の立ち会いは
できなくなりました。
でも産科の方の配慮で
電話つないでもいいよ~
と言ってもらい
陣痛との闘いを
LINE電話で
見守ってもらっていました。
でも本陣痛が来て
「ギャーーーっ!!」
って叫んでる自分を
「うんうん」って
電話越しに聞いてもらう状況に
耐えられず・・・
「ちょっと余裕ないから
後からかけなおす・・」
って言って切りました(笑)
それから無事に出産して
夜中0時前でしたが
旦那さんにも両家の両親にも
LINEのビデオ通話をつないで
元気な赤ちゃんの顔を
見てもらうことができました。
立ち会いは叶わなかったけど
予定していたバースプランも
叶えてもらって
とても満足しています。
育て方、合ってる?まちがってる?
初めての子です。
自分の子育てが合っているのか
毎日不安でした。
母乳で育ててるんですが
すごくよく出るんですね。
赤ちゃんに飲ませると
吐き戻しして。
でもすぐおっぱいは張るから
飲ませたいし。
張っているからといって
冷やすと
今度は出なくなったり。
産院にも電話したり
あちこち調べたりしていました。
そんなときに
義母が作ってくれた食事が
食べられない時がありました。
出産前から義理の母とは
3人で同居していたので
出産後も旦那さんの実家で
過ごすことにしていたんです。
せっかく義母が作ったものを
食べないと悪いっていう
気持ちもあったけど
おっぱいが張るのも嫌だったので
食べなかったんですね。
そしたら・・・
義理の母とのケンカ~家出
忘れもしない。
一か月検診の前日の夜です。
義母の作った食事を
私が食べなかったことに
義母がむくれていたんです。
その態度に私はイラっとして
積もり積もって爆発した感じですね。
「私のお母さんは
そんな態度とらないのに
どうしてお義母さんはそんなふうに
むくれるの?!」
って。
地雷踏んじゃいました。汗
義母ももう我慢できない
っていう感じで
「出てって!」
と言われて
私ももう居られないと思って
すぐに荷物をまとめて
出ていきました。
そのとき旦那さんは
2階にいて
ケンカに気づいて下りてきて
止めようとしましたが
もう私も我慢の限界でした。
やっぱり変わらなかった
出産前から一緒に生活していて
義母とはあまり合わないと
感じていました。
生活のこと。
たとえば洗濯とか掃除とか
義母が、やるよ?と
言ってくれたことに対して
私は義母の言葉そのまま
受け止めて
甘えてたんですね。
でも義母は
やるよ?とは言うけれど
そこで
「いや、私やります」
って言ってほしかったみたい。
機嫌を悪くしたり
態度に出るようになりました。
私の実母は
子どもに不満をもらしたり
機嫌を悪くしてあたったり
しない人だったので
どうしても
比べてしまったんですよね。
義母も苦労をしてきた人です。
私が甘えてるのに
不満を募らせてたのかも
知れません。
でも子どもができたら
変わるんじゃないかな?
と期待していたんですよね。
もちろん可愛がってくれましたが
やっぱり人は変わらない。
自分が変わらないと、と
思いました。
旦那さんも間に入って
取り決めを作ったりしてくれましたが
義母のマイルールに合わせるのは
もう無理だと感じました。
実家で味わった家族の大切さ
1か月検診があったので
家出した当日は
とりあえず泊まる場所をさがして
検診を受けてから
実家に帰りました。
新生児を連れて
電車で茨城から福島へ。
もう、それが
私のできる
せいいっぱいでした。
実家の母も
びっくりしていましたが
受け入れてくれました。
旦那さんは仕事があったので
茨城に残りましたが、
毎週福島まで
会いに来てくれました。
そんなある日
私の祖父が脳梗塞で倒れたんです。
それまで元気だったのに。
祖父のことをきっかけに
生きている限り
いつ何があるか分からない。
と感じました。
離れて住んでいてはいけない。
やっぱり家族は
一緒に暮らすのが一番。
と。
それから自分自身と
向き合うことができて、
義母へ対する怒りも
じつは過去の自分の想いを
投影していたんだと
気づきました。
義母がいなかったら
旦那さんにも会えなかったんだし
このまま孫を会わせないのは
悲しいなぁと。
そして茨城の
義母の家に
戻りました。
人生一度きり、好きなことやろう!
茨城に帰って
義母との関係も良くなりましたが
やっぱり一緒に住むのは難しい。
こうなったら
人生一度きりなんだし
高い買い物だけど
私たちの家を建てよう!
と一念発起して
家づくりを始めます。
もともと建築士の旦那さんが
設計図を描いて
自分たちの理想を
かためていきました。
ふつう、先に土地を決めたり
工務店を決めたりするはず
なんですが
私たちは先に設計から
始めちゃったんです(笑)
そうしたら、奇跡!
設計図がぴったり納まる
土地が見つかったんです!
理想の場所を引き寄せることができて
本当にうれしかったです。
家を建てることは、
もちろん義母にも
報告しました。
義母は私たちに
一緒に住んでほしかった
みたいです。
義父も亡くなって一人ですし。
でも私たちが
「家を建てたいので
離れて住みます」
と伝えると
「そうだよね」
と納得してくれました。
義母の家とは
車で20分くらいの距離ですし
すぐに帰って来られます。
いま、土地と設計図とを
調整しているところです。
年内中には
引っ越しできるんじゃないかと
楽しみにしています。
その頃には娘も1歳で
いっぱい歩くように
なってるんだろうなぁ~♬
娘の皮膚炎と薬
娘はアトピー性皮膚炎です。
5~6か月のときが
一番ひどかったですね。
乳児湿疹で
肌はカサカサで真っ赤だし
かきむしって血が出たり。
私自身、もともとアトピーで
ステロイド薬を使用していました。
でも、良くなったと思ったら
またぶり返して、の
繰り返しだったので
なんとか薬に頼らない方法は
ないかな?と
思っていました。
そんななか
乳児湿疹の子どもを育てている
お友だちに相談したら
湿疹の症状を出していることは
逆に「良いことだよ」と
教わって。
自然に沿った育児をしている
お友だちのやり方に共感しましたし
自分もそうしたいと
強く思いました。
生きる力を信じる!
皮膚炎対策として
具体的にしたことは、
脱保湿。
お風呂は症状がおさまるまで
2日に1回。
離乳食を早めに始める。
など
本を読んで実践していきました。
それから
那須烏山市の自然派の医師
本間真二郎先生のところで
診てもらったんです。
→自然派医師・本間真二郎オフィシャルサイト
先生に
「治るよ」
と言ってもらえて
私も安心して
少し落ち着きましたね。
娘の生命力を信じよう!
と、決めました。
母として
娘のことをとにかく信じる。
そして自分自身も信じる。
これからもずっとです!
新堀 友美さん 素敵な子育てエピソードを
ありがとうございました!
集合意識にまで働きかける勾玉セラピストとして活動中の友美さん。初めての子育てに苦戦しながらも「わが子を信じる」という気持ちは、百戦錬磨の剣士も顔負けの強さ。やわらかい雰囲気のなかに、何事にもゆるがない母心が光る友美さんの今後の活躍に期待がふくらみます。
https://www.facebook.com/tomomi.ishizuka.127